レトロな書
昼ごはんの後しばらくピアノと戯れるも、どっかで聞いたことのある現代音楽のパクリみたいなものしか浮かんでこなかったので自主的半日休業にして、家族を引き連れ両国までちょっとレトロなものを見に行った。改札を出ると前から北の潮理事長が歩いてくる。すばやくいろんな側面から分析して、喧嘩をしても勝てそうになかったから、なるべく目立たないように歩いて脇を通り過ぎる。
そして目的のレトロなものを目の前にする。
王義之の「蘭亭序」。353年(永和9年)3月3日の作品。なんでも詩を書く遊びごとをした宴の後に書いたために、次の朝見ると誤字はあるは脱字はあるは大変だったけども、いくら清書をしてみてもそれ以上うまくいかないものだからそのままにしておいたという作品。間違えたところは墨で塗りつぶして訂正してあったりする。

何が書いてあるのかはまったくわからない。「いやあ、もやしを炒めたものは美味しいなあ。」とか「明日、わにのお面をかぶって参上。」とか書いてあるのかもしれないけども、たぶんもう少し上等なことがしたためてある気配がした。ちなみに、これは本人による直筆ではなくて後世の人が写し取ったもの。「なんだ贋作じゃない。」とも思ったけども、現存する肉筆本では名品中の名品といわれているらしい。
なぞの世界だ。
本人でさえ清書できなかったものを、なぜほかの人が写し取って傑作とされているのかが良くわからない。けども、すごいものを見させていただいたという感じは残った。感動はしていないけども・・・。ただ日本が稲作を始めたころにこんな文化が存在したのかと想像すると、(そしてこのようなものを大事にコレクションをしたり保存したりしていたことを考えると)中国という国のもっている根本的な底力に納得してしまう。同じころすでに竹林の七賢のひとりが「音楽はその響きに触れる人の感情を揺り動かしはするが、揺れ動く感情と音楽の間には一定の結びつきなどというものはない、音楽とは客観的なものなのだ、と主張した」というから、そのころに僕が生まれていたら、おそらく万里の長城の石でも積み上げていたんだろうなあ。
その後、常設の会場で江戸時代や明治時代の東京の風俗について娘に適当に説明。詳しいことは学校で勉強してもらおう。駅に向かっていくとまた北の潮親方と会った。おそらくみんなモンゴルに行ってしまって暇なんだろう。
帰りに炉辺焼きの店に寄ってビール。どうもビールを飲むと文化的にはポップな思考に陥りやすくなるような気がする。王義之はやはり老酒を飲んでいたのだろうか?テキーラやウィスキーでは文化関係者の場合絶対に喧嘩を始めてしまうから、日本酒やワインを片手に歌や詩について論じるのは理にかなっていたのかもしれない。
と言いつつも、コストパフォーマンスを重視して帰宅後ウィスキー。
仕事場で気絶。
| Copyright 2008,08,28, Thursday 05:30pm tadashi | comments (0) | trackback (0) |
